ある保育園で行う講演会に際し、非認知能力についても触れてほしいという要望がありましたので、改めて非認知能力に関する本を何冊か読んでみました。その中で、特に印象的だったこの本について紹介致します。
ご存知の通り、読み、書き、計算、知能指数、英語力等、テストで客観的に数値化できる力を認知能力というのに対し、忍耐力、自制心、回復力、意欲、向上心、自信、自己肯定感、協調性、コミュニケーション力等、テストで客観的に数値化できない力を非認知能力といいます。OECD(経済協力開発機構)では、社会情動的スキルと呼んでいますが、同じものと考えてよいようです。
最近、この非認知能力を伸ばすことこそが、幼児教育や学校教育にとって実は大切なことなのではないか、という議論が様々な場所でなされています。その背景として、学校の成績(認知能力)は高かったのに、仕事に対する意欲や向上心、忍耐力や他者に対する思いやり(非認知能力)に欠ける日本人が多いのではないかという認識があるようです。ひいては、日本の学校教育の在り方が、認知能力を伸ばすことだけに目を奪われ、非認知能力の大切さを忘れてしまっているというような指摘もあるようなのです。
確かに、子どもの自己肯定感(自尊感情)についての国際比較の記事を見ると、他の国の子ども達に対し、日本の子ども達の自己肯定感は、かなり低いというデータがあります。その原因は、幼児教育や学校教育だけにあるというよりは、日本の文化的な要素も多分に関係していると思われてなりません。その一つが、「間違ったことを叱って直す教育」だと私は考えています。叱ること自体が悪いというのではないのですが、よく出来たこと、頑張ったことに対して「誉める教育」が日本の文化圏では少ないと思うのです。例えば、友達と問題を起こしやすい子どもに対して、問題を起こしたときには叱るけれども、ちゃんと関われたときには誉めない、という状況が多い気がします。日本では、ちゃんと出来たことは当たり前なので、スルーしがちなのです。この対応方法を変えると、日本の子ども達の自己肯定感は上昇すると考えているのですが、いかがでしょうか。
日本の学校教育でも、探究学習や協同学習を多く取り入れるようになってきたのも、非認知能力の向上を目指してのことだと思います。今までの講義式授業だと、どうしても受け身的にならざるを得ず、認知能力の向上には寄与するものの非認知能力の向上には繋がらないという反省があると思うのです。
最後に、スウェーデンの就学前教育では、「自分の感情を認識し、それを伝られる力、他人の感情を尊重する力」が大切にされているということを紹介して、今回の投稿を締めくくらせていただきます。日本では、感情に関することは自然に学ぶものという認識が強く、教えるという発想自体がないのかもしれません。自閉症の子ども達の多くは、他人の感情も自分の感情も把握できていない状態で日常生活を過ごしています。そのため、様々な場面でトラブルになることが多いのです。日本でも幼児期から、感情に関する教育を是非取り入れてほしいと願っています。